二水会部

● 10 月二水会からの報告●

10 月 11 日午後8時から、大和日英基金事務局長のジェイス ン・ジェームズ氏に「日本における英国ビジネスの成功:ウィ ルキンソン 炭酸ミネラルウォーター」という題目でお話しい ただきました。
ジェームズ氏は、現在のポジションですでに 12 年目と多くの 在英日本人の方には知られた方ですが、日本との関りは、13 歳の時に聖歌隊のツアーで来日して魅了されたことが始まり とのこと。そして、ケンブリッジ大学で日本学を学ばれ、しば らく金融業界で勤めた後に、2007 年からはブリティッシュ・ カウンシル駐日代表や欧州連合文化機関日本代表等と、より 良い日英・日欧関係を築く仕事をされ、その貢献が認められ て、今年 OBE を授与されています。ジェームズ氏の日本語力は素晴らしく、講演はすべて日本語であるのはもちろんのこと、 Q & A で も 質 問の細かなニュアンスも理解してお答えいただきました。
今回の題目を選ばれた理由は、大和日英基金に、10 年ほど前にウィルキソン炭酸ミネラルウォーター社創業者の末裔の方から家族の歴史を調べる ための英語の資料が欲しいとの問い合わせが入り、日本語の 資料を翻訳してお渡しした際に興味を持たれ、実際に創業地 の兵庫県宝塚市を昨年訪問したことからとのことです。 また、現職で明治時代に日本で活動していた商社のイベント を行った際に、当時の人々の手紙等を見ていると、日本の文 化に興味を持った人は日本でのビジネスを成功しているケー スが多いことに気が付き、それは長崎での貿易で成功を収 めたグラバー氏が代表的な例で、ウィルキンソン氏へはその ような点からも興味を持たれたとのこと。実際に、ウィルキ ンソン氏の子孫は 1980 年代まで日本で生活していたことか らも、日本をこよなく愛していた証ではないかとのことです。 そして、ウィルキンソン炭酸ミネラルウォーター社が宝塚で設 立された経緯やその後どのようにビジネスを拡大していたの かについてお話いただきました。当初発展した背景は 1800 年代後半にコレラが日本でも蔓延し、ミネラルウォーターを 飲む必要性が出ていたこととし、その後日本で作られた商品 を日本国外へ輸出したことがさらなる成功を収めた要因との ことです。また、ウィルキンソン氏はマーケティングにも長け ており、日本の緑豊かなイメージを前面に出して生水が安全ではない南アジアや、宝塚の水に鉄分が多く含まれているこ とから医療面からも有効とし、健康に敏感となっていた欧米 等でも販売量を増やしていったとのこと。仁王を同社のミネ ラルウォーターのラベルに使ったのも、日本の強いイメージ で あり、 仁 王 のように 健 康 に なるということを 伝える目 的 で あったとのことです。 戦時中にウィルキンソン炭酸ミネラルウォーター社は、日本 国籍の会社ではないために、日本当局に没収されて日本興 業銀行が管理した後に株式を大日本ビールへ売却されたよう ですが、創業者子孫で本来社長であったハーバート・プライ ス氏が戦後に会社を取り戻し、日本初のオレンジジュースを バヤリースブランドで販売するなど、商品の幅を広げてさら にビジネスを拡大したとのこと。

その後 1983 年にハーバー ト・プライス氏の希望で、 アサヒビールの関連会社の

アサヒ飲料がウィルキンソ ン炭酸ミネラルウォーター 社を買収し、ウィルキンソン 家の同社との関りが終わっ たとのこと。しかし、その 売却益や持ち家の売却益は 当時の国税庁の全国長者番 付の所得税支払いのデータ で 2 位に入る多額なもので あり、いかにウィルキンソン 炭酸ミネラルウォーター社 が成功していたかを物語っていたようです。 アサヒ飲料は最近でもウィルキンソン炭酸ミネラルウォー ターの歴史を紹介し、マーケティングでも使われているとの ことで、そのレガシーは今もなお残っているようです。
Q & A では、ハーバート・プライス氏はお母様思いであった ために、ご自宅から道向こうにあったバラ園に行くための地 下道と日本で初めて個人宅にエレベーターを設置されたこと や、フィリピンで使われている言葉では炭酸という言葉は王 冠という意味を持っており、これはウィルキンソン炭酸ミネラ ルウォーターで王冠が使われていたからで、いかにこの商品 がアジアの国々でいきわたっていたか等のエピソードもお話 しいただきました。 このように、博学なジェームズ氏に様々な興味深いエピソー ドを取り込みながら日本人でもあまり知られていない同社の 歴史についてお話しいただき、参加者一同学ぶことの多い会 となりました。個人的には 1800 年代の緑あふれる宝塚や日 本を愛したウィルキンソン家の人々に思いをはせる講演とな りました。

文責 Whitehouse 佐藤敦子