二水会部

●2023年2月の報告●

日 時:2月8日(水)午後8時より

講 師:清水 健様

演 題:日本が先駆けとなった人種差別撤廃

会 場:Zoom スクリーン上

参加人数:55名

講演は、清水さんの高校時代の話から始まりました。南ローデシア(現在のジンバブエ)から、白人の先生と、黒人の奥さんが日本 に来た理由を聞いたのが、初めて人種差別を意識した経験だっ たそうです。南ローデシアは、南アフリカのアパルトヘイトより人 種隔離政策が厳しかったとのことでした。その地を逃れ、「等しく」「外人」として奥さんもご自身も「同等に」扱われる日本が心地いい、と言われた話されたそうです。他の留学生からは、世界で白 人を笑いのネタにできるのは日本だけだから、日本を尊敬する、 と言われたこともあったそうです。また、数学オリンピックで金メ ダルを獲った元ハンガリー代表だったユダヤ人のピーター・フラ ンクルさんが、ユダヤ人が差別されないのは日本だけだ、とコメ ントしたことも、実感はわかなかったものの、なぜだろうと、記憶 に残っていたというお話でした。 2019年は、第一次世界大戦後のパリ講和会議から100周年でし た。日本が提案した人種差別撤廃提案が1919年であることに対 して、国連の人種差別撤廃条約ができたのが1969年と、日本の 提案から50年後でした。アメリカでのマーティン・ルーサー・キン グ牧師の公民権運動は知っていても、日本が人種差別撤廃条約 を提案したことを知らない、自国のことをもっと知るべきだとい う思いから調べを進めたそうです。パリ講和会議には、西園寺公 望(きんもち)、牧野伸顕(のぶあき)ら総勢68名が参加しました。 その中でも、牧野伸顕はアメリカに留学し、きれいな英語を話し 外交力も優れており、力を持っていたそうです。会議には各国の 現職大統領や首相が参加する中で、次席全権大使の牧野伸顕 は元外相だったとはいえ、全権を委任をされていなかったため、 その場で賛成・反対を表明することができませんでした。その都 度、本国に確認をする必要があったため、「沈黙の隣人」と呼ばれ て、会議が進むにつれて発言を聞いてもらえなくなっていったそ うでした。講演を聴きながら、僕は思いました。「何だか、誰も決 断しない、現在の日本の会社経営や政治の世界にも通じるところがあるなあ」と。一方で、「でも、現在に比べれば、当時の日本の 存在は圧倒的に、事実としても、扱いとしても、小国だったので、 止むを得ない面もあるのではないか。反対に、今の日本はもっと やれるはずだ」とも思いました。 当時の日本は、植民地主義が全盛の中で、遅れて出てきた国で した。この頃には、ドイツの国王だったヴィルヘルムによって黄 禍論が唱えられ、アジアの国がヨーロッパの秩序を侵そうとして いるという見方でした。アメリカでは、反日感情が高まっていまし た。日本は、1894年に治外法権の不平等を回復し、1911年によう やく関税自主権を取り戻しました。また、西海岸のカリフォルニア 州に、積極的に移民を進めていました。1906年に、サンフランシ スコの街で、公立学校には日本人を入学させないという条例が 採択され、1919年には、日本移民は、アメリカ国籍を持っていた 場合でも、カリフォルニアで土地を取得できないという法律が成 立しました。日本人は勤勉であったことに加えて、企業を興すな ど経済力をつけていたため、排斥運動が起こったそうです。一方 で、1980年代に、レーガン大統領が日本の国会議事堂で演説を した際に、「長澤鼎(かなえ)を知っていますか?」と質問し、沈黙 している国会議員たちに「カリフォルニアでは、誰でも知ってい ますよ」と話したそうです。イギリスで勉強し、アメリカに移ってカ リフォルニアでワイン農園を経営し、アメリカから初めてイギリ スにワインを輸出して世界に広め、カリフォルニア・ワインの父と 呼ばれているそうです。 パリ講和会議の牧野伸顕の元には、「日本人が白人ではないが 故に不利な立場に置かれることがないように」という外務省か らの通達が届きました。牧野は、国際連盟の理念として、人種差 別撤廃を提案できるのではないか、と考えました。これは、ヨーロ ッパの列強国に非常なショックをもたらしました。2019年にキュ ー・ガーデンの国立公文書館で開かれたパリ講和会議100周年 の特別展では、五大国(戦勝国)の一つであったはずの日本人が 写っていない写真が展示されていたことからも、第一次世界大 戦は、ヨーロッパとアメリカが戦って作った秩序だったと訴えて いるようだったということでした。 当時の日本の提案に対しては、イギリスとフランスが驚き、フラ ンスはイギリス外務省に問い合わせました。イギリスの回答は、「日本がどれほど力を持ったとしても、白人の国家は日本に同等 の権利を認めてはならない」というものでした。アメリカ大統領 のウィルソンは民族自決を唱えていましたが、それはヨーロッパ 人の民族を意味していたため、日本の提案はヨーロッパ各国を 驚かせました。その中で、牧野に涙ながらに感謝したのは、イギ リスの支配と戦っていたアイルランド代表だったそうです。アメ リカでは、日本の民族平等の提案は、黒人の労働力を必要とする 南部の州が内政干渉として反対し、イギリスは、植民地のオーストラリアやカナダの離反を憂慮して反対しました。最終的には、 自由・平等・博愛を掲げるフランスは賛成に回り、16票中11票の 賛成を得たものの(3分の2以上)、他の決議では多数決ないしは 3分の2以上で決められたのに対して、日本の提案は全会一致で ないと認められない、との議長国アメリカに採決のルールを変えられ否決となりました(アメリカ、イギリスは反対)。非常に悔しが った牧野でしたが、議事録に残すことを求めたことから、今日私 たちが事実を確認できるということでした。 いろいろなエピソードの紹介もありました。黒人初の法学博士の デュボイス氏が日本の帝国ホテルで受けた平等な扱いや、1990 年代のロサンゼルス黒人暴動の際の日系の店が破壊されなか ったことと、マーティン・ルーサー・キング牧師がデュボイス氏の 弟子であったことなど。織田信長が登用した黒人の侍ヤスケの 史実や、第二次世界大戦後の国際連合の憲章に加盟国の主権 平等が入ったのは、日本の理念が影響を与えていると考えられる ことなどの話がありました。講師の清水さんがイギリスの大学で 学んでいた1988年に聞いた。LSEの教授の講演で、「第二次世界 大戦の勝者は、戦後にアジアの植民地解放をもたらし、目的を達 成した日本ではないか」と問いかける議論を聞いて、物事を柔軟 に考えるイギリスの姿勢と、定義に戻って考えることの大切さを 実感したということでした。

講演と質疑応答を併せて、1時間40分強、そのうち質疑応答が40 分ほどと、長くも充実した2月の二水会部でした。質疑応答では、 日本人の差別意識などについて、活発な質問がありました。参加 されたみなさんが、ご自身の考えと照らして考え、新しいことを知り、知っていたことを再確認する機会となった講演だったのでは ないかと思います。清水さんが冒頭にお話された通り、歴史の事 実を提示し、みなさんに考えてもらうという講演になったのでは ないかと思いました。(伊東ノリ)

(※個人の感想のため、聞き間違いなどにより、正確性に欠け る、または誤解がある可能性があります。)

● 4 月二水会部のお知らせ●

日 時:4 月 12 日(水)午後 8 時より 演 題:走る外交官:日本で二等書記官、マラソン選手としての経験 講 師:Mara Yamauchi 様
会 費:会員 無料 / 非会員 3 ポンド