父 原三郎

さる4月17日、ロンドンには珍しく空が青く太陽が燦燦と照っている日の午後 6 時 30 分に父原三郎が、 自宅で静かに息を 引き取りました。 101歳の誕生日をあと5週間にしてでした。 街路樹の桜も満開でした。

前日まで、絵を描いたり、家の中を歩行器で歩いたりと、最 後まで人生を楽しく、穏やかに、 明るい気持ちで生きた人だっ たと思います。とても安らかな最後だったので、 姉も私も平穏 な気持ちで父の死を受け入れることができたことが、幸いです。駆けつけてくださったかかりつけのお医者様、 Dr Palacci も “What a way to go” と、感無量といった感じでした。昨年 までお掃除の手伝いに来てれていた Maria も、悲報を聞い て、”I’ll never forget your father. He was a kind man, who was always polite” と書いたカードをわざわざ届けてくれたの には心を打たれました。 近所の方々もご親切に綺麗な花束や カードを届けて下さいました。

父は、cleaning lady、 近所の方々、お医者様から、学校の先 生にいたるまで、 分け隔てなく丁寧に接していました。 この当 たり前のようなことが人々の心をつかんだんだと思います。

父は、1922年(大正11年) 当時日本領だった台湾の小さ な島、坊湖島で生まれました。 坊湖島は日本海軍にとって重 要な基地で、父の家族は海軍相手の商売を営んでいました。 でも、島には日本人学校がなかったので、 まだ幼い時に東京 に小学校入学のため送られて、 家族とは離れ離れの生活が続きました。 (坊湖島には、休みの時にだけ帰っていたようです。) 二高卒業後、 東京工業大学に進み、 卒業後は三井物産に入社、 札幌支店勤務の時に母と結婚、その後1960年時代にマニ ラ支店に単身赴任した後、 海外をくまなく出張で飛びまわって いました。 そうやって世界を見るのが好きだったようです。

ロンドン支店には1970年から、3年間赴任しましたが、 その 時は母と私達2人もいっしょでした。 そして、帰国して35年 年後、2018年、86歳の時に東京の家を売って、再び母と私 とともにロンドンに、 今回は、 永住のために移ってきたのです から、その open-mindと積極性には驚きます。 イギリス移住 を決断したのは、イギリスに永住した姉と一緒にまた家族4人でに生活するためでした。 父にとって家族の存在は大きかったと思います。

ロンドンでは、姉が住んでいた Putney に家をかまえましたが、 幸い近くに art school があるので、そこに毎週通って、絵の 勉強を続けました。 “いやー楽しかった。 ” と、 迎えに行くとい つも笑顔でい言っていました。 つねに childlike innocence を 持っている人でした。 この学校で、 Shaun というとても親切な 先生と巡り合い、 水彩やパステルを手ほどきして頂きました。

昨年5月24日、100歳の 誕生日にプレゼントの パステルセットを前にして

柔和な人柄が幸いして、 Shaun やクラスメイトに好かれました が、クラスの後、 掃除を手伝った時、 テーブルの下に落ちて いるゴミまで拾っているのを見て、 先生が驚いたのを思い出し ます。”He was a humble, polite and dignified. And he often made me laugh!” と Shaun は懐かしそうに言っていました。

残念ながら Covid の後教室が、 エレベーターのない建物に移 動したため、学校には通えなくなったのですが、 家でパステル で静物画をほぼ毎日描いていました。

歌を歌うのも好きで、千昌夫の星影のワルツと湯島白梅が最 後まで彼の favourite でした。 社交ダンスも若い頃培ったよう で、Farm Street Church の日本人の集いで、出席者の女性の 方々とワルツを踊った姿が、 今思い出されます。

葬儀は Putney Vale Crematorium で行われたのですが、近 所の方々も数多く参列してくださって、 追悼の言葉ものべて下 さいました。姉のお友達は Robert Byrns の心温まる詩を朗 読してくださいました。 姉と私は父の供養のために湯島白梅を ヒデさんのギター伴奏で歌いました。 その後、父が好きだっ た Edelweiss をやはりヒデさんの伴奏で参列者全員で歌いまし た。とても和やかな時間でした。

皆様にご報告するのが遅れてしまいましたが、 姉も私も静かな 時間が必要だったことをご理解頂ければ幸いです。 会長のウィ ンター千津子様のご配慮とご親切に深く感謝いたします。

母が亡くなって7年間、父と3人で生活して、父を近くで垣 間見て、学ぶことが沢山ありました。 こだわらないこと、前向 きに生きること、周りの人につねに丁寧に接すること、などです。 ほんとに口数が少ない人でしたが、いつもニコニコして皆に接 していました。”He’s a gentle soul” と友人の Anne が常に言っ ていましたが、実際にその通りだったと思います。高齢を重ね るにつれ、外の皮がだんだんむけて彼の人間性の本質が出て きた感じさえしました。 そういった意味でも、父にとって最後 の数年間が一番充実した時だったのかもしれません。姉と私と 父の3人が一番心が通じ合う関係ができた時でした。 長年の 皆様のご親切とご配慮に深く感謝いたします。 合掌

原 信子