行ってきました!!ウズベキスタン

最近ITVのジョアンナ ラムレイとかBBCのシルクロードなどで話題になったウズベキスタンに行ってきた。あまり予備知識なしだったので、いろいろびっくりの国だった。首都タシケントまではロンドンから飛行機で約7時間。ほとんどの国民がモスレムと聞いていたのだが、機内食にいきなりワインが出てきてまずびっくり。
旅行会社がSagaだったので、お年寄りが多いとは言え同行者が50以上ならいいとのことで、40代50代もちらほら。上は80代だろう。旅行代金は9泊10日で1800ポンドぐらい。いいところは家まで迎えに来てくれるところだろう。しかしながら私など家から車で40分。スコットランドの北西の外れから来たカップルはエディンバラまで一日かかり、ホテルに泊まってヒースローまで来たとのこと。これも全部Sagaがだしてくれる。その他ウェールズの端、とかデボンとかからもいる。つまり私たち近いものが補助しているのだ。私にとっては初めてのSagaだったが、これは疑問。旅程はヒヴァ、ブハラ、サマルカンド、タシケントと要領よく回って文句の言いようがない。ガイドもよく勉強していて、ちょっとうるさいぐらい喋り捲る人だった。

ビザは今年の春から日本人は30日以内なら必要がなくなった。イギリス人は必要でこれもSagaが取ってくれたという。これも必要ない日本人には少し安くしてくれてもいいところ。最初はヒヴァという古い町。ここは泥の壁に囲まれた町。一番目につく建物はカルタミナルという巨大な円形の塔。これは19世紀にできたもので本当は百メートルになるはずが26メートルで今だ完成していないというもの。全体に青いタイルが貼ってある。ウズベキスタンの建物はほとんどが20世紀から20世紀にかけて修復されていて、どれもピカピカ。古いものをそのまま尊重することなどしないようだ。このカルタミナルもそのうちに百メートルまで足されるのではないかな。街の中にはモスクとか裁判所とかが多く、皆青いタイルとが美しい。下の方のタイルははがれてしまったらしく、ちょっと色の違ったタイルが貼ってある。よく見るとかなりズボラな貼り方だけれど、少し遠くから見れば気にならない。天井は赤、青、緑とか色とりどりでこれも美しい。どういうわけか各天井の真ん中がへっこんでいて穴になっている。裁判所には扉が三つあり、裁判の後右の扉から出ると無罪、左だと死罪とのことだ。真ん中は刑務所だろうか。

街の中は観光客とお土産屋ががいっぱい。店ではみんな熱心で、しつこいぐらい。ちらっとでも目をやるとすぐディスカウントと叫ぶ。すぐに半額ぐらいになってしまう。毛皮の帽子が沢山売っていて、皆でかぶって遊んできた。数人は買ったひともいる。たしか25ドルぐらい。安くはないが、本物の毛皮でものすごく暖かいようだ。
通貨はスムと言って一ドル8300ぐらい。とにかくお札の数字が大きくて戸惑ってしまう。お札は1000、5000、10000が多く硬貨はほとんど見ない。大体一ポンド一万スムというところ。あるオジサンなど大量にお札を抱えていて、見るたびにお札を数えていたのだけれど、毎回間違っていたようだ。

建物とかの中を撮影したかったら、ほとんどお金がかかる。大体五千のことが多いが、時には一万もあった。トイレに行くにもお金がかかりこれは千スム。全部入口に番人がいる。時には田舎の方では番人がトイレットペーパーをくれる。これがゴワゴワのひどいものが多いので、ティシューを持ち歩くのがいいだろう。不思議なことにトイレに錠がないことが多い。番人が見てくれているところもあったが、入ったら自分でドアの取っ手とかをつかんでやるのだけれど、安心はできない。私の同行者は一度やってる途中にドアを開けられたとのことだ。

大きいレストランはさすがにトイレはタダだけれど、最後に行ったレストランのトイレにも錠が無かった。田舎のほうのトイレではしゃがむ方式のものもあった。私たちの一行にはお年寄りが多く、足腰の悪いひとも数人いたので、彼らはしゃがんだら起き上がれないのではないだろうか。しゃがんでいる時に開けられたら悲劇だ。穴式でも前に金隠しがあるわけではないので、やたら汚かった。幸いにもこれはたった一度経験しただけですんだ。こういうトイレは洋式が一つであとは穴式という事らしく、次からは待たなければならなくても洋式に入った。

土産物屋とかバザーでは大体ドルで考えるようで、8千が単位のようだ。つまりドルもとるけれど、スムでのほうが少しだけ安くなる。ある店でなにか買ったとき、値切ってみたら安くしてくれたので、五百だか千スムのお札があったのでそれも上げようとしたら、そんなはした金はいらない、と断られてしまった。

地元のヒーローは15世紀にこの辺を征服したティムールでどこにでも彼の像が立っている。サマルカンドのティムールのお墓は内部が金ぴかぴか。これも20世紀に修復しものだ。彼は戦争で右手に怪我をして指三本が短くなってしまった。膝も痛めている。このことが20世紀に墓を発掘したときにこの人骨がティムールだという証明になったということだ。ガイドによると、ティムールの墓を発掘すると世界的災難が襲い掛かる、といわれていた。これは第二次世界大戦の始まりと重なる。彼をまた埋葬したのが1944年だか45年で、この年は大戦が終わった年である、ということだ。

彼の妻たちの眠っているところは建物が十か二十集まっているところで、内部は美しく装飾されているところとか(たぶん最近やり直したのだろう)全く装飾のないものとかがある。内部は数人の墓があり、ところによるとお賽銭のつもりかお札とか硬貨が墓の上に置いてある。しかし見ると500とか千とかのお札で、つまり10ペンスぐらい。夜閉まったら番人がもらうんだろう。ティムールの奥さんのお墓の内装は藤色と白でとてもきれいだった。

ウズベキスタンの気候はもっと寒いのかと思ったら、そうでもなかった。私の行った11月の初旬は昼間は10数度にもなり、ロンドンより暖かかった。夜になると寒くなり時には零度ぐらいにも下がった。ついた日はちょっと曇りで雨もちょっとポツポツだったが、次の日からほとんど毎日晴天で真っ青な空がきれいだった。

アーチのある建物の後ろに巨大な青いドームのあるところが多いが、これは昔の学校だったそうだ。このドームはつるっとしたものと、縞状にせりあがったものがある。今ではアーチをくぐると周囲全部がお土産屋というのが多い。お土産はどの店にいっても全く同じものを売っているので、そんなに見歩かなくてもいい。(もしかしたら全部中国製だったりして)。私は色とりどりの模様のあるコーンフレークを食べるのにちょうどいい器を買ったけれど(値切って2ポンドぐらい)、同じようなモノが帰りの飛行場のDuty Freeの店にもあり、さんざん値切って買った値段より安かったのでがっくり。とにかくどこに行っても値切らなくてはならないのでしんどい。店員はみなものすごく商売熱心でいらないと言っても追いかけてくる。(S.K)

この続きは12月号に掲載します。お楽しみに。