福祉コラム

ノーモア・ヒロシマ! ノーモア・ナガサキ!
8月6日が今年も巡ってきた。ロンドン北部のビクトリア公園の桜の木の下で、毎年、地元有志が開催するヒロシマ・デーに、JA有志も参加した。大きく育った桜の木は暴風雨で倒れていた。新たに植えられた若木に、平和を象徴する紙製の白鳩が羽ばたいた。参加者は、即席の祭壇を囲んで平和を祈り、核廃絶の日を夢見て歌った。8月は戦争や死について思うことの多い月である。二つの原爆の日と終戦の日。そして、祖先や先達をしのぶお盆が巡ってくる。
シベリア抑留の経験をもつ詩人の石原吉郎氏が、原爆を含む大量殺戮は「名を奪う死」である、と書き残している。「死においてただ数であるとき、それは絶望そのもの。人は死において、ひとりひとりの名を呼ばれなければならないものなのに。」 広島、長崎の被爆による死亡者の総計は72年間で60万人に達するという。
「長崎は今日も雨だった」「雨のオランダ坂」など、長崎を歌う戦後の歌は、みじめな雨と結びつくものが多い。「それは、まぎれもなく原爆の記憶」と、分析する向きもある。真っ青に晴れ渡った広島と長崎の上空で原爆がさく裂したのは、72年前の8月6日と9日。人類が絶対に忘れてはならない、消し去ってはならない殺戮の記憶である。偶然そこに居合せたことで背負わされる過酷な運命は、誰の身にも起こりうる。
「被爆二世にまつわる新聞記事をこっそり読んでいた息子は、もしかしたら、わが身にも、と、被爆を密かに恐れている。だが、被爆一世の母親には、その不安を隠すのだ。」と、原爆の語り部と呼ばれた林京子氏は回想記に残している。戦争とは無縁のはずの孫子までが苦しまねばならない悲劇は、こうして後世に引き継がれる。唯一の被爆国である日本は、原水爆の恐怖のない平和な世界を実現するため、声高に全世界に訴え続ける責任があることを忘れてはならない。
自身も被爆二世の俳優兼シンガーソングライター、福山雅治氏作詞による「クスノキ」に、ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!の悲願を託そう。そして来年は千羽鶴で祭壇を飾ろう。
我が魂はこの土に根差し/決して朽ちずに決して倒れずに/我はこの丘 この丘で生きる/幾百年越え/時代の風に吹かれ/片足鳥居と共に/人々の営みを/歓びを かなしみを/ただ見届けて/我が魂は/奪われはしない/この身折られど この身焼かれども/涼風も爆風も/五月雨も黒い雨も/ただ浴びてただ受けて/ただ空を目指し/我が魂はこの土に根差し/葉音で歌う